【寄稿】吉丸良治熊本県文化協会名誉会長 第3回


【寄稿】第3回

アメリア密航少年と明治の夜明

熊本地震で倒壊する前のジェーンズ記念館

幕末、鎮国日本にあって、アメリカへ密航を企てた少年がいた。熊本の横井太平17歳と兄佐平太である。長崎で学んでいた二人は、日本の近代化のため国禁を犯しても外国を視たいと熱望していた。変名を使い、長﨑からアメリカ貨物船にまぎれ込み、6カ月後幸運にもアメリカに上陸し、関係者の好意でグラマースクールに入り、航海学校で学んでいた。それから2年余、横井太平は、結核を患い帰国を余儀なくされたのである。

日本は、既に明治維新を迎えていた。太平は、長﨑、熊本で療養しながらも、日本の近代化には、欧米の学問が必要との強い思いで、洋学校の設立を当時の藩知事細川護久公に再三願い出る。そのことを受け止めた藩知事は、明治4年熊本洋学校と、古城医学校を開校したのである。開校を熱望し奔走してきた太平は、開校直前、22歳の若さでこの世を去っている。

このとき熊本洋学校教師として招かれたのがアメリカ退役軍人L.Lジェーンズである。全て英語による教育は、当時日本で最も先進的な教育であったであろう。札幌農学校よりも5年早い開校であった。

新しい学問に立ち向う子供たちの心意気は高く、厳しいなかでも熱気に満ちた学校の姿が残されている。

しかし、社会の混乱が続くなか、明治9年10月神風連の乱の直前学校は閉鎖されたのである。

それでも、そこで学んだ多くの子供たちのなかから、キラ星の如く、多くの人材を世に送り出している。京都同志社大学総長、一橋大学総長、東京農業大学初代学長など、同時に開校した古城医学校からは、北里柴三郎や緒方正規東京帝国大学医学科大学長など日本の近代化に大きな貢献である。

熊本洋学校教師L.Lジェーンズの居宅であった「ジェーンズ記念館」は、熊本地震で全壊したが、熊本市の努力で、文化庁と協議しながら復興の計画が進められている。「ジェーンズ記念館」は、日本、熊本の近代化へ向って、先人が取り組んだ熊本の象徴的文化遺産である。早期の復興を願い、少年の勇気と行動も語り継いでいきたい。